REPORT・BLOG

2025-06-08 21:16:00

「根源のコトバ」とは? 人生を確かに導くその力を多くに人に伝えたい。

●人類は遠い昔、歌うように語っていた

歌と言葉、体の(特に手の)動きとの関連は、人間の意識の発達、進化の秘密とも深い関わりがあります。
シュタイナーは、「人類は遠い昔、歌うように語っていた」 「太古と今では記憶の仕方が違う」と言いますが、
ハンディを持つ子ども、成人たちは、まさにそうでした。

東田直樹さんの著書「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」でも語っていらっしゃるように、
障害を持つ子供たちは、 「太古の昔からタイムスリップして来たような」ところがあり、
シュタイナーの本で学んだ知識を、私は、オイリュトミーを通して実際に体験し、検証していったのでした。

その後、障害を持たない、幼児クラスや子どもクラス、大人のクラスを持つようになってからも、
この時の体験は、私の授業方法の大きなベースとなったのです。 それは、言葉というものの本質に触れる体験でした。

頭で考える知的な概念言語の前に、音声言語があり、 口から放たれる音声言語の前に、動作言語の豊かな世界があること。
また、民族言語である、母語の重要さ。 アイデンティティーの土台となる母語は、私たちが住まう風土とも結びついています。

日本語は「母音が優勢」なので、歌の中に生きる母音を通して、 無意識のうちに知恵が浸透していくようでした。
動作言語と、思考の言葉である概念言語の間には、大きな隔たりー壁がありますが、「聖なるものへの感情」を通して、
この両者がつながると、いろんなことが可能になることもわかりました。

・・・・・・・・・・・

●聖なるものとの出会いが、人を内側から癒す

この「聖なるもの」は、かつて木彫制作していた頃からずっと、私を導いてくれたテーマでした。
扱う素材が「木彫」から「人間」「オイリュトミー」に変わっても、テーマは変わらなかったんですね。

どんなに障害が重く見えても、口先では、反感に満ちたひどい言葉を吐いたとしても、
心の底にある「聖なるものへの憧れ」に触れることさえできたなら、心の奥の扉が開くのです。

自我による治癒は、聖なるものと結びついており、それは言葉や音楽の「響きの中に」生きています。
言葉の中の聖なる霊的存在、それをシュタイナーは「霊我」と呼びました。

それは、人間の一番神聖な部分の中に、未来への萌芽として存在しています。
色、音に触れる美しい芸術体験ー特に総合芸術としてのオイリュトミーにはー聖なるものに触れる力があると確信しています。
それは、根源のコトバと出会うこと。

ヘレン・ケラーが「Water」の言葉体験を通して、 言葉の本質を直感し、その後の人生が大きく変わったように、
「根源のコトバ」体験は、私たちの人生や、世界観をより豊かに、確かに導くものです。

その力を、これからも多くの方に伝えていけたらと思うのです。
オイリュトミーの活動を通して。
また、小さな、ささやかな手遊びを通して。
公演活動を通して。

・・・・・・・

●うたの語源〜「うつ」「うったえる」互いに「うち合う」

6/29の公演「あめつちをみたすいのちのうた」では、天地をつなぐ人間の聖なるものを、
根の国底の国に棲まう「さすらいのハヤサスラ」として、 また日本語独特の「母音」の深い豊かな世界を、
箏、タムタムの響きと共に、歌を通して表現します。

「うつ」「うったえる」「うち合う」それが「うた」の語源だとか。
私たちの魂はまさにそのような体験を求め、だからこそ、人と出会い、 心と心で「うち合う」ことに、人間らしい喜びを感じるのでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

🌟6/29の公演とWS は、まさに心と心で「うち合う」ものをテーマにしています。

▼あめつちをみたす いのちのうた〜14時から
https://fb.me/e/5EMOXbC6H

親子向けプログラム
▼響きあう音といのち 〜12時から
https://fb.me/e/3inNXdhcT

告知動画
https://youtu.be/YbRiWEOA9fM

 

 


2025_0606. 記:萌黄 moegi ▼ FB記事より転載 https://www.facebook.com/chieko.sibutani.1/posts/pfbid02T5v7h9F9PHSm8TVPGKwAKPqGwwgQ4oyGUst2hiCwjhrnY4jtc7mXE5ZqNswsaKB6l